26日斜里岳を下山後ウトロに入り、知床ホステルに宿泊。
27日は早朝曇り、その後天気が悪くなる予報・・・・1日延ばそう、明日に期待する。
その日はコインランドリーや買い物をして1日過ごす。
昼過ぎに登山口の木下小屋に予約を入れ15:00頃入る。素泊りのみの対応で2500円その代わり24時間露天風呂が入れる。当日は2人組のおじさん二組と3人組のお兄ちゃんと名古屋の常連さんと自分で9人の宿泊者。常連さんは3週間滞在しているらしい。小屋オープンの手伝いや修繕をボランティアしているらしい。週末には山開きのイベントがあるようだ。
宿泊者の関心はヒグマの事で、管理人さんからいろいろ聞く。ヒグマはツキノワグマに比べて倍ぐらい大きい。そして知床は世界一熊密度が多い・・・

翌日4:00起床外は小雨・・・がっかり

朝食を取り5:00出発の目安で準備する。
登山届帳に記入してスタート、木下小屋の宿泊者以外の人も数組登っていく、中にはパトロール関係の人もいた。
ソロは自分だけである、出来るだけ誰かの後を付いて行きたい心境である。
出発時点では、先行パーティーが3組いて後ろに1組いるので、少し安心してスローペースで進む。
昨日の3人組のお兄さんは車で移動して硫黄岳へ登るようで羅臼岳は明日らしい。
弥三吉水で小休止、ここの水は要煮沸なので飲まず。
極楽平ここまで3組のパーティーを抜いてしまう、けっこうスローペースで進んできたが・・・
先行者がいるか少し不安今のところ獣の気配なし。
先行者がいるか少し不安今のところ獣の気配なし。
仙人坂通過、途中1枚脱いだが雨具を着ているので蒸し暑い
スタートして2時間半銀冷水に着く、雨は上がった
銀冷水にある簡易トイレブース、途中トイレは無いので必ず簡易トイレを持参、世界遺産の知床である。
二日目登った斜里岳のブースより立派だ。
二日目登った斜里岳のブースより立派だ。
最初の雪渓、雪は多少締っているがアイゼン無しで問題ない
大沢入口ここからが本格雪渓・・・最悪の45分間
ここを直登する、沢からの強風とガスでホワイトアウト寸前途中の岩場でチェーンスパイクを付ける
この状態ではヒグマの気配も分からないがそれより進むことで頭がいっぱい
(写真は下山時)
この状態ではヒグマの気配も分からないがそれより進むことで頭がいっぱい
(写真は下山時)
前方に黒い物体・・・!! もしやヒグマか!?
下山時に写したソロの登山者でした
下山時に写したソロの登山者でした

雪渓を登り切り羅臼平ここからハイマツの中を進む
岩清水を過ぎもう一つの雪渓をクリアすると最後の岩場強風は収まらない
山頂直下の雪渓で迷ったが何とか登頂する。
山頂からの展望は全くダメで強風で体が飛ばされそうである、写真を撮ってすぐ下山
山頂からの展望は全くダメで強風で体が飛ばされそうである、写真を撮ってすぐ下山
この環境でも可憐に咲く花々
下山途中からだいぶ風は弱くなる、大沢雪渓もガスはあるが風は収まったソロも含め何組か登ってきている。
途中、木下小屋の常連さんと遭いいろいろな話を聞かしてもらう
雪渓でヨーロッパ遠征の為新しいアイゼンを試したとの事
12:30登山口着、木下小屋でバッジを買い露天風呂に入らせてもらう。
手作りの露天風呂、結局滞在中3回入る、数日前この上でヒグマが出没したそうだ・・・

強風とガス・雪渓登りと大変な山行だったが、ヒグマとの遭遇は無く(蝦夷鹿・キタキツネとは遭う)
無事下山出来た途中引き返したパーティーもあったが何とか登り切った達成感があり。
天気の良い日は国後島の爺爺岳も見えるもう一度登ってみたい羅臼岳であった。
追記
ウトロ滞在中、目にした記事 『ソーセージの悲しい最後』
私たち登山者には絶対無い事ですが、一部の観光客がヒグマに与えたソーセージが悲劇の始まりでした。
以下NPO『知床財団』のチラシから
初めて出会ったのは1997年秋、彼女は母親からはなれ独立したばかりだった。翌年の夏、彼女はたくさんの車が行きかう国立公園入口近くに姿を現すようになった。その後すぐ、とんでもない知らせが飛び込んできた。観光客が彼女にソーセージを投げ与えていたというのだ。それからの彼女は同じクマとは思えないほどすっかり変わってしまった。人や車は警戒する対象から、食べ物を連想させる対象に変わり、彼女はしつこく道路沿いに姿を見せるようになった。そのたびに見物の車列ができ、彼女はますます人に慣れていった。
我々はこれがとても危険な兆候だと感じていた。かつて北米の国立公園では、餌付けられたクマが悲惨な人身事故を起こしてきた歴史があることを知っていたからだ。我々は彼女を必死に追い払い続け、厳しくお仕置きした。人に近づくなと学習させようとしたのだ。しかし、彼女はのんびりと出歩き続けた。
翌春、ついに彼女は市街地にまで入り込むようになった。呑気に歩き回るばかりだが、人にばったり出会ったら何が起こるかわからない。そしてある朝、彼女は小学校のそばでシカの死体を食べはじめた。もはや決断のときだった。子供たちの通学が始まる前にすべてを終わらせなければならない。私は近づきながら弾丸を装填した。スコープの中の彼女は、一瞬、あっ、というような表情を見せた。そして、叩きつける激しい発射音。ライフル弾の恐ろしい力。彼女はもうほとんど動くことができなかった。瞳の輝きはみるみるうちに失われていった。
彼女は知床の森に生まれ、またその土に戻って行くはずだった。それは、たった1本のソーセージで狂いはじめた。何気ない気持ちの餌やりだったかもしれない。けれどもそれが多くの人を危険に陥れ、失われなくてもよかった命を奪うことになることを、よく考えてほしい。
チラシには小学校の校庭で倒れているヒグマの写真がありました。
ショッキングな写真です。
乗鞍岳でも数年前の熊が人を襲った事故以来、熊を駆除するのではなく共存の道を選びました。
熊に出会わない準備、熊と遭遇したら騒がない等々・・・
熊にも人間にも不幸なことは殺し合うことです。
このような悲劇が起こらない様に、野生動物に対する意思、自然保護に対する意識を高めていかなけらばなりません。また、このような一部の観光客に対して罰則的な事も考える時期に来ていると思います。
ウトロ滞在中、目にした記事 『ソーセージの悲しい最後』
私たち登山者には絶対無い事ですが、一部の観光客がヒグマに与えたソーセージが悲劇の始まりでした。
以下NPO『知床財団』のチラシから
初めて出会ったのは1997年秋、彼女は母親からはなれ独立したばかりだった。翌年の夏、彼女はたくさんの車が行きかう国立公園入口近くに姿を現すようになった。その後すぐ、とんでもない知らせが飛び込んできた。観光客が彼女にソーセージを投げ与えていたというのだ。それからの彼女は同じクマとは思えないほどすっかり変わってしまった。人や車は警戒する対象から、食べ物を連想させる対象に変わり、彼女はしつこく道路沿いに姿を見せるようになった。そのたびに見物の車列ができ、彼女はますます人に慣れていった。
我々はこれがとても危険な兆候だと感じていた。かつて北米の国立公園では、餌付けられたクマが悲惨な人身事故を起こしてきた歴史があることを知っていたからだ。我々は彼女を必死に追い払い続け、厳しくお仕置きした。人に近づくなと学習させようとしたのだ。しかし、彼女はのんびりと出歩き続けた。
翌春、ついに彼女は市街地にまで入り込むようになった。呑気に歩き回るばかりだが、人にばったり出会ったら何が起こるかわからない。そしてある朝、彼女は小学校のそばでシカの死体を食べはじめた。もはや決断のときだった。子供たちの通学が始まる前にすべてを終わらせなければならない。私は近づきながら弾丸を装填した。スコープの中の彼女は、一瞬、あっ、というような表情を見せた。そして、叩きつける激しい発射音。ライフル弾の恐ろしい力。彼女はもうほとんど動くことができなかった。瞳の輝きはみるみるうちに失われていった。
彼女は知床の森に生まれ、またその土に戻って行くはずだった。それは、たった1本のソーセージで狂いはじめた。何気ない気持ちの餌やりだったかもしれない。けれどもそれが多くの人を危険に陥れ、失われなくてもよかった命を奪うことになることを、よく考えてほしい。
チラシには小学校の校庭で倒れているヒグマの写真がありました。
ショッキングな写真です。
乗鞍岳でも数年前の熊が人を襲った事故以来、熊を駆除するのではなく共存の道を選びました。
熊に出会わない準備、熊と遭遇したら騒がない等々・・・
熊にも人間にも不幸なことは殺し合うことです。
このような悲劇が起こらない様に、野生動物に対する意思、自然保護に対する意識を高めていかなけらばなりません。また、このような一部の観光客に対して罰則的な事も考える時期に来ていると思います。
この記事へのコメント
おぎひま
今年の夏、旭岳+斜里岳または羅臼岳を計画していまして、
大変参考になりました。
斜里岳の旧コースを、小5女児が登れるか気になっています。
丹沢表尾根のクサリ場ならコナせる程度の技量ですが。
羅臼岳の雪渓、この時期はまだまだ凄いんですね。
私は2回登りましたが、お盆の時期なので皆無でした。。
なお
おはようございます。
斜里岳は今回新道コースの往復でしたので旧道はわかりませんが
やはり、登山日前の天気に左右されると思います。
雨量が多いと厳しいと思います。
分岐までの渡渉もそこそこありますので、その水量を見てコースを選択しても良いと思います。
天気が良いこと願っております。
楽しんで来て下さい。